キャッチャー・イン・ザ・ライThe Catcher in the Rye/J.D.サリンジャー、村上春樹訳 白水社

20年以上前に野崎孝訳で読んだアメリカ文学不朽の名作。
主人公の少年の一人称語りによる
脈絡のない話だということくらいしか記憶に残ってないくせに、
「よかった」「生涯ベストに入る本」ということだけは
なぜかしっかり刻み込まれていた。

読み直してみて、主人公ホールデンの高校生とは思えない世慣れぶりに驚いた。
N.Yで生まれ育った金持ちの息子ということを差し引いても、
レストランやバー、劇場でのふるまい、タクシーの運転手に対する態度、
お金の使い方、デートや女の子に対する考え方など
日本の感覚でいえば30代の遊び慣れた都会人という感覚だ。
これって当時('40年代)のアメリカでは珍しいことではかったのだろうか?

ホールデンは私立の名門校を続けて退学になり、
おそらく精神的に病んで人生をドロップアウトしかけている。
延々と続く彼の語りの主なテーマは自分の周囲の人間や彼らとの関係。
その理屈っぽさや妙なこだわりは、時にうっとうしく退屈するが、
それでもそのメッセージにはまったく古臭さを感じさせず、
時代を超えて青春文学の名作とされているのが納得。

素手での殴りあいはどうも好きになれない、
喧嘩相手の顔をまっすぐ見ることができず、
素手で殴るくらいなら相手を窓から突き落としたり、
斧で首をはねるほうが楽だ、と語る部分など、
現代の日本の子供にも通じるような気がした。

最終章、真冬のセントラルパークで
最愛の妹フィービーが回転木馬に乗るのを見守りながら、
突然とてつもなくハッピーな気分になったホールデンが
思わず大声で泣き出しそうになるシーンはとても美しい。
この何行かのためにすべてがあるといってもいいのでは?

さて、春樹訳。
読みながら気になった箇所は野崎訳と比較した。
やはり言葉は生き物であり、絶えず変化し続けるものだなぁと痛感。
春樹訳は「ばりばり寒い」「ていうか」「~みたいな」など
ここまで今っぽく訳していいのか?と一瞬心配になるほどだが、
それらの口語体が文脈の中で浮くこともなく、生き生きしたスパイスになっていた。

当時は斬新だとされた野崎訳は、今読み直すとどうしても古臭い印象は免れず、
特に18歳くらいの男の子の口調には思えない。
壁の落書きの「ファック・ユー」を「オマンコシヨウ」と訳しているところなど
今なら誤訳とされるのでは。
ただし、村上春樹が意識的にそうしたという「You」をいちいち
「君は」と訳しているのは不自然に感じて非常に気になった。

'05 11 ★★★★☆
[PR]

by Gloria-x | 2005-11-30 22:24 | ブックレビュー